夢見がちな日々2

中越千春です。

過去について

新年になって更新できていませんでしたね。
ほんとは近況を色々書こうと思っていましたが、今回1つの話についてしっかり書くことにしました。自分のために。届くなら、誰かのために。
その他の近況についてはまた書きたいです。

自分のことを許せる気持ちを、今頃になってようやく持てるようになってきたというお話。
うまくいかないことがあると責めてばかりだったのです。
自分の人生を振り返りながら書きます。





1年前のブログにも書いたが、私には、場面緘黙という症状で過ごした幼少期9年間がある。小学校卒業まで、幼稚園、小学校でほぼ喋っていなかった。
(※場面緘黙とは→http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/note/n360832)
発端は、幼稚園入園時、母から離れる初めての環境が不安だったのだろうか、多分朝行った時、先生の前で泣いて?1日喋れずに過ごして、そこからずっとズルズル喋れず、私は「喋らない子」になった。「喋らない子」が急に喋るとおかしいと思われるだろうから、ズルズルと喋れない。家や、幼稚園外でできた友達とは普通に喋る。
そして小学校では、幼稚園で一緒だった子もわりといたから、変に思われるかなと、また急に喋り出せず、結局そのまま小学校時代を過ごしてしまった。自己紹介は恐怖でしかなく、発表のときは誰かに任せてばかり、コミュニケーションは頷いたり手紙とかだった?最後の方はささやきはしてたかな?もうあまり覚えていないけど、すごい、今思えば不便すぎるだろという…。それでも友達と遊んでたから不思議。でも色々迷惑かけたり誤解させたりしたんだろうな。多分、怒ってきた先生もいた。でも、小学校5、6年担任だった先生は、勉強したことや頑張ったこと、よく褒めてくれて、私のことを個性だとも言っていたらしく、本当に素晴らしい先生に担任してもらえてよかったと今になって思う。自信を持って!ってよく言葉かけてくれてたな。
喋れない自分を支えてくれた人たちには感謝しかない。

そして中学校はどこへ行くか考える時期になり、私はそのまま公立の中学へは行かず、中学受験をすることにした。自分のことを知らない人ばかりの環境に身を置くことで、再スタートをしよう、と。はっきりこの思いがあったとは覚えてないが、自分でも喋れないことにやばさは感じていたと思うから、ちゃんとこういう理由は持ってたと思う。勉強はそこそこできてたから、流れで受けた部分もあるかな?母と相談もしたような…。

そして中学・合格。学年で同じ小学校だった子は私を含めたった4人、クラスには0人という環境を手に入れた。私は多分皆の前で普通に返事して自己紹介をする、という今までできなかったことをし、見事に再スタート!
今思えばここで学校で喋れるようになって本当によかったと思う。
新たな喜び、しかし辛さもここから。
会話を続けること、自分を出すことが難しかったと思う。複数の会話も微妙ですね。今思ったら喋っていない時期があったからうまくいかないのも当たり前だと思うけど、喋るのなんて皆できて当たり前って部分があるから、自分を責めちゃう。自尊心の低下と孤独感。克服したと見せかけて、しっかり私に根を張っていた。思春期は決してラクではなかったよ。

緘黙だったことについては、それ以降に出会った人には誰にも自分から言わなかったし、自分の中でマイナスでタブーな時代になった。そもそも場面緘黙という言葉を知らなかった。他に同じような人がいるのも知らず、私だけの恥ずかしい経験なのだと思ってきた。
小学校のときの友達、ありがたいことに今では話せるようになった子もいるが、当時喋ってなかったから、どこまで喋っていいものかわからない部分がある。同窓会は皆でワイワイする感じで、輪に入りきれない部分を感じ、もう行くのを辞めてしまった。
小学校からの付き合いの友達は、きっと男女関係なく嘘偽りなく純粋にはしゃげる関係で、それができなかった私は、それが羨ましく、かわいそうだと思った。
でも、今でも連絡をくれる一部の友人は本当に感謝してる!当時も話せなかったとはいえど、色々遊びに誘ってくれた、友達。

中学、高校、大学、社会人。
少しずつコミュニケーションレベルは上がっていったものの、うまくいかないことはあり、その度暗い気持ちになった。
憂鬱との戦い。


そして一昨年、転機の一つが。
仕事でパンクして精神科に行った時に、付き添ってくれた母の口から漏れた言葉。「この子は場面緘黙だったときがあって…。」と。そんな言葉初めて聞いた。小学校4年ぐらいから数年間、病院へカウンセリングに連れてってもらってたのだけど、その時母は先生から教えてもらったらしい。長年どう片付けていいかわからなかったことは、1つの言葉だった。少し自分に対する理解が進むが、まだこの頃はあたたかい環境にいたため、しっかり調べることはしなかった。

昨年、上京して、うまくいかないことがあり、自分はなんてダメなんだ、この歳でなんで人と同じようにできないんだと結構なレベルで落ち込み、色々考えていて、「場面緘黙」のことを思い出した。これは自分のルーツなのでは。知らなければ、と。
SNSで検索してみると、なんとたくさんの同じような方がいた。
私と同じように以前緘黙だった方。
現在も戦っている方。
自分の中で長年静かに苦しんでいたことは、自分だけのことではなかった。
こんな過去を過ごしたのだから、うまくいかなくて当たり前だし、むしろできていることを大事にしなくちゃ、と思った。フタをしていた過去を少し開き、自分と向き合い、もっと大切に。
みんな頑張ってる、大丈夫。
まだ落ち込むことはあるけど、こう思える道ができた。これは大きな変化だ。

場面緘黙については、つい数年前まであまり世の中で知られていなかったらしい。私も聞いたことがなかったし。
しかし最近では、緘黙のことを広める活動をしている方がいたり、テレビで取り上げられたり、SNSで交流や発信できたり。いい時代になっている。
これからも動向を追っていきたいし、うまく付き合いたいと思う。

それに、緘黙経験者でシンガーソングライターの方も2~3人発見して、すごい、同じような方がいるんだなと思った。
うまく言えないから、歌で伝えようとするのでしょうか。
私は多分そんな感じだ。
歌詞にもね、多分出てる。

それにそれに、今までの辛い気持ちに、いつも寄り添って癒してくれたのは、音楽だ。いつもありがとう。


という訳で、今回はわたしの人生のブラックゾーンについて長々と書いてみました。
自分をもっと大切にしたいし、さらに進みたいし、場面緘黙への一般的な認識も広がって欲しいな。

長々と、お付き合いいただきありがとうございました。



2016.3.14
中越千春